- ぼっち・ざ・ろっく!のライブシーン回をリアルタイムチャット欄で見て
- まずは過去アニメのライブシーンを考察
- アニメで曲が流れるシーンの使われ方
- 実はぼっちざろっくのライブシーンでぼっちちゃん(後藤ひとり)が歌唱していない所が大きな要因じゃないか説
- ライブシーンで気持ちを載せる際に他で気になった点
- 今までの過程を使い、今回の考えに至るまで流れをまとめました
- ぼっちざろっくライブシーンを神回と呼ぶ人がそれぞれいる中で、神回と呼ばれやすいであろう要素を考えました
ぼっち・ざ・ろっく!のライブシーン回をリアルタイムチャット欄で見て
最近ぼっち・ざ・ろっく!(これ以降は略称ぼっちざろっくで書いていきます)
abema一挙放送を見ていた際に、ライブシーンがある回になる度にリアルタイムチャット欄で神回と書いている方もいて
神回とは一体何だろう…と改めて考える機会がありました。
ぼっちざろっくに関しては、
自分としては日常アニメ部分を準来のきららアニメ。良作画アニメ的な部分は満足できたのですが
個人的な意見をいうと、ライブシーンは、同じスタッフさん達が手掛けた
"その着せ替え人形は恋をする"において活用していた3D作画やカメラアングルの切り替えしを
もっと出来た部分があるんじゃないか?…と思う部分があり
ファンゆえに、ライブシーンの可能性について考えたりしてしまいました
特に最終回のライブだと顕著ですが、遠目だと顔に何も書かれていないシーンが数点あり、そこがより気になりました。
あくまで、ぼっちざろっくを否定したいわけではなくて
今回なぜ、ライブシーンはあのような表現方法が出てきたのかを踏まえ
なおかつアニメ視聴者がよく使う表現"神回"をどういった場面に使うのか
改めて定義を考察してみました…!
よければご覧ください!
まずは過去アニメのライブシーンを考察
↑ こちらはdアニメストアさんがアンケートでライブor歌唱回ランキングをまとめてくれたものです。
個人的には、CloverWorksさんには京アニの古参スタッフさんが参加しているのもあって、ハルヒやけいおん辺り。
あとは別会社ですがkey系列でエンジェルビーツとかを連想しました…!
その歴代ライブシーンを比べていると、やはりMVとして、また音楽番組のアングルを多用しているものが多く、とにかく"アングルが命"みたいなライブシーンが多かったと思います…!
自分はロボットアニメも好きなので、マクロスや、そのスタッフが作ったメガゾーン23も思い出しました…!
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【引用アニメ 紹介】
バンダイチャンネルさんでレンタル2日間220円で購入したものは、画質が480pあり、見てもあまり気にならないレベルでした!
メガゾーン23を視聴する方は、こちらをオススメします!
https://animestore.docomo.ne.jp/animestore/ci_pc?workId=10819
一応dアニメストアにもあるのですが、画質が240p並でガサガサです…!
part2もそれなので、どうかdアニメさん!画質上げて下さい…!
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歴代アニメの中でも、1982年超時空要塞マクロス(特に1984年に公開された劇場版愛・覚えてますか)でのライブシーンが、アニメ史でも語り草になり、自分はそのスタッフさん達が参加したOVA・メガゾーン23part1、2が大好きです…!
いま見直していたのですが、やはり重要なのが"曲"が流れるタイミングというところです。
メガゾーン23 part2に関してはまた別のスタッフさんを加えて作られていて、大トリのクライマックスで、曲を歌う女性(AI的存在)の場面から始まり、世界が崩壊していく様子が良作画で描写されます
なのでライブPVというよりはMV的な側面が強いですが、自分はそこで気持ちを載せる事が出来ました
つまり、まずライブシーン=曲が流れる場面、と仮定をすれば
実は今までのアニメ史を振り返ると、ライブシーンがあるアニメというのはかなりの数を連想出来る、という視点になったりします!
そして曲が流れる場面というのは、正に作品の見せどころでもあり、力を入れて作られているケースが多かったです
その影響もあり、ぼっちざろっくでライブシーンで曲が流れた際に
神回だ!という人もいれば
曲はいいけど、映像としてはそれに見合ったものなのか?との感想を持つ人が
一挙配信で視聴者の中に出てきていた所を目の当たりにしました
映像面というよりは、その組み合わせで意見がバラけている気がしなくもないです…!
アニメで曲が流れるシーンの使われ方
そして最初の過程で乱雑に
・アニメで曲が流れるシーン=ライブシーン
というシンプルな定義で話してみましたが
そこから
・アニメで曲が流れてライブor歌唱をしてるシーン=ライブシーン
というその次の過程で考えてみます
そうなると先程話したメガゾーン23シリーズでは、AIの少女がライブをしている中、世界が崩壊していく様だったり、メカの戦闘シーンが映されました
初代マクロス(映画版)もそうですが、ライブをしている中でクオリティの高い映像が流れ、それに視聴者は気持ちを載せていると感じる所もあると
そういう見せ所として曲を使うアニメが多かったからこそ
実は"曲が流れるだけで"人間は気持ちを載せるという部分が
ぼっちざろっくのライブシーンにて悩ましい問題になっているかもしれない。と考えました
(※気持ちを"乗せる"が正しい漢字ですが、自分的には"載せる"の方が好きなので造語で書きます)
実はぼっちざろっくのライブシーンでぼっちちゃん(後藤ひとり)が歌唱していない所が大きな要因じゃないか説
ぼっちざろっくのライブシーンといっても
主人公のぼっちちゃん(後藤ひとり)が"歌唱"するわけではなく
ギターで演奏するというシチュエーションが重要だと考えました
今までのアニメライブシーンを見ても
実は歌唱してるキャラがフォーカスされていて、そこに視聴者は気持ちを載せていた所があると感じました。
歌唱しているのはキタちゃん
1stライブから逃げた彼女を救ったのはぼっちちゃんであり、今度はぼっちちゃんのアクシデントをキタちゃんが助けるという、ストーリー的には非常にエモいシーンになっているのですが
果たしてキタちゃんの歌唱と演奏に気持ちを"載せきっていた人は全員だったかという仮定
ぼっちざろっくは、人見知りなぼっちちゃんがリア充的な体験に直面すると、叫んだりリアクションをしながら自分の世界が映像として映し出される、というギャグ?描写がメインになっているので、ぼっちちゃんメインの映像作品になってるともいえなくはないです
なので彼女がギターで演奏するシーンで
ネットではギターヒーローとして人気の演奏技術もあり、ライブ中にメンバーのためにも一歩踏み出すために、より熱気を込めた演奏シーンを披露する事が多いです
だからこそ視聴者はその場面に気持ちを込め、夢中になってしまう事が最終話まで多かったです
だからこそぼっちざろっく最終話では、
ぼっちちゃんのギターが途中で切れるというアクシデントがあり、気持ちを載せきれなかった視聴者が出てきたのかもしれません
ただその分キタちゃんのシーンに熱さを感じたので、2期で彼女の精神世界を多めに描いたら、ライブとして多くの人により熱狂される…?
【LIVE映像】結束バンド「忘れてやらない」LIVE at 秀華祭/ 「ぼっち・ざ・ろっく!」劇中曲
【LIVE映像】結束バンド「星座になれたら」LIVE at 秀華祭/ 「ぼっち・ざ・ろっく!」劇中曲
これは公式で配信されている、最終話のライブシーンです…!
ライブシーンで気持ちを載せる際に他で気になった点
そして自分がぼっちざろっくのライブシーンを見ていて
とにかく気になった点は
"遠目のアングルだとのっぺらぼう"になる作画です
これに関しては、手抜き?演出?と画面のみでも言えるであろう批判的な視点は取り除いて、なぜこういう作画にしたのかを個人的に考察していきます…!
一つは、現代では4K画質で映像を見れる機会が増えたので、あえて遠めのアングルで顔を描かなかったという点です…!
これに関しては新海誠監督の新作すずめの戸締りの序盤でも
教室にいる人物たちの顔が棒人間のよう(失礼ですが)に簡略化されている所があり
映画館で私が視聴した際に気になりました
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【引用アニメ 紹介】
【冒頭12分映像】『すずめの戸締まり』※本編ではございません。 https://amazon.co.jp/gp/video/detail/B0B8V3K412/ref=atv_dp_share_r_tw_61f8eef281754
アマプラ限定で映画館以外でも見れます…!
上記のツイートでは
07:35~からの教室のシーンについて引用しています
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改めて視聴しましたが、やはりアップの顔がよりきれいな分、PCや他端末でも気になりました…!
ただ中盤からはそこまで気にはならなかったので、すずめの戸締りという作品では、無粋な意見だったかもです…!
ただぼっちざろっくのライブシーンに関してはどうでしょうか
先程、このアニメはぼっちちゃんの妄想世界が描かれる事が多く、彼女により気持ちを載せる場面が多い作品とお話しましたが
そのぼっちちゃんの顔ですか書かれていない
歌唱するキタちゃんの顔すらも
それをどうとらえるか
これに関して自分が想定した見解は
1. 4k画質でより大きいモニターで見られる事も考え、遠目のアングルは顔を書かなかった
2. ぼっちちゃん、キタちゃんはおいといて、"他の部分(楽器等?)"に気持ちを載せて貰いたい箇所があるから、顔を書かなかった説
この辺りになります
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【※注意書き 私の批評定義】
私の思想としては
公式スタッフさんが
「あれは演出です」
「こうこうこういう意味で、顔を書きませんでした」
等とアニメ雑誌記事やインタビューで答えたとしても
それは"文献"にはなりますが
"答え"かといわれるかというと、私は少し違うと思っています
なぜなら製作者といえども、自分が思っている事を画面で全てその通り表現出来たか?というと、絶対そうとは言えない部分があると思うからです。何より人間ですし
だからこそ、それを知らない個人が見て
"映像からそう感じた"という第三者の視点も
"答え"にはなりませんが、批評として重要視点だと
私はとある批評人のその意見にとても共感したので
ぼっちざろっくに関しては、公式スタッフさんの明言を待たずに、自分や人と話したりして色々と考察し、今回の話題を書いた次第です。
このアニメはむしろ好きな部類なのですが、のっぺらぼう演出に関しては、悩んだのでSNSで流したりました…!
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今までの過程を使い、今回の考えに至るまで流れをまとめました
話が長くなってしまいましたが、まとめると
ぼっちざろっくのライブシーンをリアルタイムチャット欄で神回と呼ぶ人が現われたが、自分の中では途中で数回のっぺらぼうカットもあったりして、
"映像面だけ見ると"神回と言い切れるかどうか思い悩みました。
ただ他のアニメの歴代ライブシーンを見てきた影響が大きいと考えたので、その中でなぜこういう演出にしたのかを考察していく事に
↓
そして神回の定義について考えつつ、過去の歴代アニメのライブシーンを見て比較
↓
その中で、曲が流れている中"高クオリティ"な映像が映されている事を認識する
(ただしクオリティという定義は、アングルの面白さや、音楽番組の演出という視点込みで体感で評価している所も。気持ちを載せるために)
↓
そして、そもそも実は、曲が流れているだけで、人は気持ちを載せる事が出来るんじゃないか説を思い浮かべる
↓
だからぼっちざろっくでも、まずライブシーンという所で神回と喜ぶユーザーがいた
今までのアニメは、曲が流れる場面というのは山場で力を入れていることが多く、その映像に気持ちを乗せていた
その定義を追い払い、キャラに気持ちを載せるなら、そこまでの映像はいらないと考えつく
↓
どこにキャラの気持ちを載せるか考えた結果
だぼっちざろっくというアニメは、ぼっちちゃんがリア充体験に直面した際に、妄想の世界に浸り映像で表現される事が多く、ぼっちちゃんに視聴者は気持ちを載せる事が多かったと振り返る
しかし歴代アニメのライブシーンでは、歌唱しているキャラに気持ちを載せるシチュエーションが非常に多くメインだった
↓
その中で歌唱したキタちゃんの妄想の世界を描写される事は少なく、ライブシーンで彼女に気持ちを載せきれた人は、今回の最初は多数というわけではなかった…?
なので最終話ライブシーンでの、神回云々での意見が割れているんじゃないか説
以上です…!
ぼっちざろっくライブシーンを神回と呼ぶ人がそれぞれいる中で、神回と呼ばれやすいであろう要素を考えました
今回の経験で分かった事は
神回というのは何に対して視聴者が気持ちを載せているか
という点を認識するのが重要なポイントになるんじゃないかという観点です
今までの歴代アニメライブシーンを見ていると
1.歌唱しているキャラに気持ちを載せているものが多く
2.次に高クオリティな映像へ
3.曲
4.また、正直曲が流れていればいい派
5.また、キャラがいれば自分で補完するからいい派
6.また、キャラの声優に気持ちを載せるからいい派
7.また、キャラの声優がライブをしている姿に重ねて気持ちを載せるからいい派
8.また、ライブに気持ちを載せるからいい派
9.また、その他のものに気持ちを載せて、自分で補完するからいい派
上から順に気持ちを載せられると評価される点ではないかと個人的に感じたので
ぼっちざろっくのライブシーンを神回と呼ばれている所を見て、改めて推測してみました…!
つまり視聴者は気持ちをどこに載せるのか
その点について突き詰めていくと
世間で神回と呼ばれるものと自分の感覚での視点について考察しやすくなるんじゃないかと思いました!
ぼっちざろっくを否定したいわけではなくて、むしろ好きなアニメだからこそ今回考察してみました。これを見て悲しんだ人がいたら申し訳ないです…!